先日、鎮西町公民館で名護屋帯の復元をされた伊藤百合子先生と打合せを行ないました。
内容は、名護屋帯を是非道の駅桃山天下市で展示及び販売をさせていただけないかというものです。
内諾は得ましたが、展示の場所、販売用の箱、価格帯、販売方法など検討課題は多く、すぐに販売とはいきませんが、出来るだけ早く展示・販売を行ないたいと思っています。

名護屋帯について

~幻の「名護屋帯」復元~

 文禄・慶長の役(1592・1597年)の際に、豊臣秀吉が残したものの1つに名護屋帯があります。
 桃山時代に打ち掛け袴の衣服から小袖が日常着となり帯が表に出て来るようになりました。細い紐が平たい帯になる過渡期に、明の僧侶の影響や宣教師のガウンを締めた丸打の紐等を、おしゃれな遊女や踊り子がいち早く真似したものです。明や漢から渡来した織工によって絹糸で唐組に組んだこの帯が、名護屋在陣の人々の間に流行したので名護屋帯の名がつきました。
 紅、白、青、黄、金色など1色又は2、3色を交えたカラフルな帯で、長さは1丈2~3尺位(約5m)で、両端に8寸位(約30㎝)の房をつけたもののようです。長い組紐の帯であるので、腰に4~5回廻して後、前、横等で結んで房をたらしました。
 各将兵が故郷に帰還する際に、土産として持ち帰ったので全国に拡がり、桃山時代から江戸時代初期にかけて大流行しました。
 有名な彦根屏風、松浦屏風、誰ヶ袖屏風、湯女図、婦女遊楽図等に、名護屋帯を締めた当時の風俗が描かれています。また、肥前名護屋城図屏風にも名護屋帯を締めた女性や商っている店等も見ることができます。
 現在、当時の現物を見ることはできませんが、1986年に鎮西町町制施行30周年事業として名護屋帯を復元させました。

『ちんぜい博物誌jin、jin物列伝』より

 唐糸(絹)で組んだ帯。組み方は丸打ちで、その両端に房をつけたもので、その形態から縄帯とも呼ばれる。長さ1丈2尺(約4.5m)。
 色は赤が多く、白、青、黄などや2色以上を使ったものもあり、これを5、6巻腰に回して締める。慶長年間から江戸初期にかけて流行った。その起源については「朝鮮から韓組の技術が伝わった」「南蛮人のガウンの帯を真似した」など諸説ある。

『ちんぜい博物誌jin、jin物列伝』より

復元にあたった伊藤氏インタビュー抜粋

 (鎮西町町制施行30周年記念事業として)鎮西町から名護屋帯を復元してほしいといわれるまではまさか自分が作るとは思いもしませんしね。(略)帯というものの始まりは名護屋帯だと思っているんです。安土桃山時代より前には、帯紐はないんです。それまで打ち掛けの下着だった小袖を表着として着るようなり着物姿を華やかにする必需品として帯として用いたと思われます。でも名護屋帯は長さが5メートル以上もありますから、おしゃれで楽しむ分にはいいかも知れませんが、日常的ではなかったから、しだいに廃れてしまったんでしょうね。

伊藤百合子氏プロフィール

 1938年1月東京生まれ。福岡美容専門学院卒業。10歳のとき父の故郷佐賀県浜玉町に移転。12歳から中学卒業まで鎮西町名護屋で過ごす。幼いころから手芸に興味を持ち、和裁、洋裁の基礎を学び、69年より着付け教室を開く。44歳のときに、美容師の国家資格を取得。組紐を伊賀白鳳流(三重県)に学び、86年、それまで途絶えていた肥前名護屋帯を復元した。現在約120人の生徒に着付け、組紐、現代マナーなどを教えている。唐津市在住。伝統美研究学会会員。